人は自分の身体のことを知っているようで、ほとんど何も知らない。私は長い時間をかけて、そのことを思い知らされてきました。
独立した頃、ある一枚のアート作品を手に入れました。作品そのものよりも、そこに宿る静かなまなざしに心を奪われました。感謝という言葉がかたちになって目の前に置かれているような、そんな不思議な安心感のある作品でした。
眺めているだけで、不思議と背筋が伸びる。人の手でつくられたものは、時に言葉より雄弁に心を揺らすことがあります。
その作品を受付に置いたのは、私が治療家として立つ場所を忘れないためでした。
出会いに感謝すること。ありがとうと言っていただける治療を届けること。そして、自分自身もありがとうと伝え続けること。この三つだけは、どれほど経験を積んでも変えたくないと思っています。
医療は科学に支えられています。ロジックがあり、根拠があり、再現性がある。もちろん、私もその土台を何より大切にしています。
ただ、その上にどうしても残ってしまう領域があります。数字にも言葉にもならない、微細な揺らぎのようなもの。私はそれを感性と呼んでいます。
アートの世界では、技術と理論があるのは前提で、そこに宿る余白こそが作家を作家たらしめます。同じ技術を学んでも、同じ線は引けません。触れる手の迷い、呼吸、温度、心の在り方が作品を変えていく。
治療も本当に同じだと感じています。
同じ知識を持ち、同じ手技を学んでいても、その人の指先から伝わるものは違います。触れる速度、圧のかけ方、迷いの有無。そのわずかな差が、患者さんの身体にとっては決定的な違いになることがある。
だから私は、技術と同じくらい感性を磨くことを大切にしています。選ばれる治療家であるために、触れる瞬間に魂を込められる人間でありたい。それが今の私の軸になっています。
失われたその日から、 治療家としての道が始まった
私の原点は、怪我で競技人生を失ったあの日にあります。
身体は自分そのものだと思っていたのに、思い通りに動かない。戻らない。その喪失感は、今でもふとした瞬間に胸の奥を刺します。でも、その痛みが医学へ進む道をひらきました。
整形外科で学んだ解剖の現実。スポーツ医科学研究所で触れたトップアスリートの身体。病院で積み重ねた臨床推論。学会や研究を通して得た知識と検証の積み重ね。
そのどれもが、私の手に少しずつ色をつけてくれました。
二十年以上、身体と向き合ってわかったことがあります。身体は構造だけでは語れない。痛みは数字では説明しきれない。そして治療はただの作業ではなく、生きた再構築だということです。
フィジオリハで行う一ミリ単位の組織間アプローチには、正確なロジックも、豊富な経験も必要です。けれど最後に決めるのは、指先が拾うかすかな違和感です。
ここがずれている。ここで流れが止まっている。ここが助けを求めている。触れた瞬間に、理由よりも先に確信が生まれます。その確信を裏付けるように、身体が次第に変化していく。その瞬間に立ち会えることが、治療家としての喜びです。
治療は痛みを取り除くためだけの行為ではありません。その人が諦めかけていた未来に、もう一度光を当てる行為でもあります。
昔のように歩きたい。もう一度走りたい。痛みのない体で生活したい。心から笑える自分に戻りたい。
そうした願いがひとつの身体に宿っている以上、私たちはただ技術を提供するだけでは足りません。その人が自分を取り戻す過程に寄り添う必要があります。
技術を磨くこと。感性を曇らせないこと。指先に迷いを残さないこと。そして、選ばれる人であり続けること。
独立した日の夕方に手にしたあの作品は、今でも静かに語りかけてくれます。
感謝を忘れずに。手を曇らせないように。自分の原点を捨てないように。
身体は変わります。人生も変わります。あなたの身体に眠る可能性は、まだ尽きていません。
その限界の線を、あなたと一緒に描き直す。それが、フィジオリハで私が果たしたいこと。


